私はフルマラソン大会に結構参加していた時期があり、その経験からの結論です。
社会人になるとフルマラソンを走ってみようという人は結構います。
私もそこに乗った一人です。
ジョギングブームでフルマラソンに参加する人は年々増えています。
スポーツとしてフルマラソンを純粋に楽しめているなら全然アリです。
しかし、フルマラソンという過酷なスポーツを純粋に楽しめている人などどれほどいるのか非常に疑問です。
私の場合はそうでも無いのに参加していたのでその反省になります。
思いつきでフルマラソンに参加してしまう心理
コレは完全に明確で、いわゆる
努力信仰
によるものです。
結果より過程が大事。とにかく頑張った事に価値がある。と、
考えてしまいがちなため、突然フルマラソンにエントリーしてしまうわけです。※私の事です
日本の努力信仰は凄まじいものがあります。
24時間テレビで100km走ったり、東京マラソンで芸能人が走ったり。
大してトレーニングを積んでない人がその場で苦痛に耐え切ったというだけでなんか感動を生んでしまう。
冷静に考えるとおかしいのですが、それが成立してしまうのが努力信仰大国日本です。
フルマラソンは体にそんなに良くない
健康維持の為に走るのは良いのですが、フルマラソンはかなり身体に負担がかかります。
本格的なトレーニングをしていない人はなおさらです。
稀に健康目的を主張する人もいるのですが、それなら普通に走るか歩いたほうが良いでしょう。
私はフルマラソンにエントリーすることで日常的に走ることのモチベーションにしていました。
しかし、フルマラソンにエントリーしないとランニングを維持出来ない程度のモチベーションなら、トレーニング変えたほうが良いでしょう。
健康維持程度ならいろいろな運動方法があり、自分にあった無理なく続けられる方法はいくらでもあると思います。
とにかく努力信仰をやめろ
本質的にはマラソンをやめろというよりは努力信仰をやめましょうということです。
仕事や家事などでも同じことです。
結果が同じでも、より楽に達成する。または同じ労力でより大きな成果を上げる。
そのために頭を使う。創意工夫する。仮説検証する。
これがちゃんとした大人がするべき努力の仕方です。
いわゆる努力というのは常人が継続することは出来ないからこそ、物語や見世物として成立しています。
ただフルマラソンをやって(或いは非効率なやり方の仕事や家事をやって)、苦労したことそのものを誇っても、継続的な幸福には繋がらないのです。
なぜなら努力は辛く苦しく、とても常人には一生続けることのできるものでは無いからです。
今コロナ禍でマラソンに参加出来ない中、一体なぜ参加していたのだろうと振り返ってそのような気づきがありました。
努力信仰を辞めるには、まず、自分が苦労したことそのものを誇るための努力をしちゃっている。ということに気がつく必要があります。
寝てないアピールも残業時間アピールも同様に努力信仰によるものです。
フルマラソンに参加するなら、ただ苦痛の果の達成感を得たいというだけではない、明確な目的を持って参加されることをおすすめします。
そうでなければただ自身の努力信仰を加速するだけの活動となるでしょう。